introduction
これまでにさまざまな社寺建築を手がけてきましたが、鐘楼堂は初めての経験でした。屋根と柱のみで構成された鐘楼堂は特に、重量級の梵鐘を支える柱が要です。4本の柱は四方転びと呼ばれ、強度を増すため踏ん張るように斜めに建っています。耐久性だけでなく建築物としてのバランスや美の視点も欠かせません。宮大工の一人として挑戦しがいのある仕事でした。
また、住職からは全幅の信頼を寄せていただき、すべての作業を一任していただきました。大きなやりがいを感じると同時に、期待以上の仕事をやりとげなければという思いから、常に緊張感を持って仕事に取り組みました。
棟梁
文安2(1445)年に開山し、山号を「梅花山 成就院」と称する同院は、真言宗豊山派に属し、不動明王をご本尊としています。
北関東で最初のぼけ封じ観音霊場で「ぼけ封じ観音さま」として慕われています。境内には親子しだれ桜、樹齢80年のボケの花を始め、四季折々にさまざまな花が咲くことから、関東1都6県の「花の寺」と称される寺院で組織された「東国花の寺百ヶ寺」の一つとして紹介されています。
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昭和初期の創建とされる旧鐘楼堂は、必要に応じて修繕が施されていました。戦時下の金属類回収令で梵鐘が応召されましたが、その後、昭和58年の弘法大師1150年御遠忌を記念して再鋳造され、現在に至ります。
以来、長きにわたり風雨に晒されてきた鐘楼堂は、近年の台風や豪雨で老朽化が進行していました。
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老朽化にともない顕著だったのは、重い梵鐘を支える4本の柱のひび割れです。素人目にもわかるほど大きなひび割れは、構造的にも心配でした。
また、柱を支える沓石(くついし)は地元産の岩舟石で、建物を支える重要な役割のあるこの石も、経年劣化により一部が朽ち果てていました。
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先の東日本大震災で地域一帯は大きな揺れに見舞われました。周辺の寺院では墓石が倒れるなどの被害に遭いましたが、成就院では鐘楼堂の方形屋根の頂点部分にある宝珠(ほうじゅ)がズレてしまいした。詳しく調べると、古い時代に葺かれた屋根瓦も老朽化が進行し、地震による強い揺れで全体的にズレが生じていました。
interview
ここ数年は毎年のように大きな台風が日本列島を縦断することから、老朽化が進行していた鐘楼堂のことがいつも気がかりでした。
鐘楼堂の修理に関して檀家さんに相談を持ちかけたところ、ご寄進いただけるとのご意向とともに、栃木市内に神社仏閣などを手がける工務店があることを紹介されました。
早速、大兵工務店のホームページを観たところ、社寺建築を始め、文化財や蔵の修復・修繕、古民家再生などの事例が紹介されていました。
特に、平成27年の関東・東北豪雨で被害を受けた太平山神社の修復工事に携わるなど、同じ地域内に腕利きの宮大工がいることを知って驚きました。
後日、こちらから連絡を入れさせていただき、棟梁とお会いすることになりました。
住職
interview
当初は鐘楼堂の修復・修繕を予定していましたが、かかる費用や工事期間、将来性のことも加味して、新たに建て替えることにしました。
理由は、修復・修繕の場合のメリット・デメリット、新たに建て替える場合のメリット・デメリットを、棟梁自らていねいにわかりやすく説明していただいたからです。
社寺建築に対する考え方やこだわり、仕事に対する熱意を感じるとともに、誠実な人柄がひしひしと伝わってきました。打ち合わせを重ねるごとに、私だけでなく妻や母親も全幅の信頼を寄せるようになりました。
結局、他の工務店と比べることなく、鐘楼堂の建て替え計画はとんとん拍子に進みました。振り返るとこの良きご縁は、ご本尊様のお力添えだったのかもしれません。
住職
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旧鐘楼堂の屋根は方形(ほうぎょう)と呼ばれる、シンプルな正方形でした。屋根と柱のみで構成される鐘楼堂建築において、屋根は最大の見せ場であることから、より複雑な入母屋(いりもや)造りにすることを棟梁自ら提案しました。
中央部分から四方に向かってダイナミックな曲線を描く総反り(そうぞり)の屋根は、施工に高度な技術を要しますが、完成後の姿は凛として美しく、鳳凰が羽ばたくような躍動感を感じます。
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虹の形のように上方に反り返った梁(はり)を虹梁(こうりょう)と呼び、社寺建築では主要な柱をつなぐ部分に使います。
新鐘楼堂では4本の柱をつなげる四方を虹梁で仕上げ、その面に住職からオーダーのあった花の意匠をデザイン。栃木市内の彫刻師に依頼し、「花の寺」のイメージで彫刻を施しました。
柱を構造的につなげる虹梁は、そのモチーフから「虹の架け橋」を想起させ、人と人とのつながりを表現しています。
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昭和58年に再鋳造された梵鐘が、新しい鐘楼堂の屋根に据えられました。下から見上げると天井は、伝統建築において格式の高い格天井(ごうてんじょう)です。
その中央部分、梵鐘を吊っている吊り元(つりもと)を五角形のヒノキの部材で仕上げました。
この五角形は梅の花がモチーフで、山号の「花梅山」のイメージにぴったり寄り添います。
ちなみに、約670㎏ある梵鐘は建て替えにあたって一度も動かすことなく、鉄製の専用台座に置いたまま施工しました。
interview
予期せぬ台風の苦難を乗り越え、鐘楼堂が無事完成しました。美しい白木の姿を見て、とても誇らしく思います。また、自分の代で寺の歴史に残る貢献ができたことは、住職の一人としてうれしく思います。
地域の檀家さんにお披露目をする落慶法要式では、当山の秘仏であるご本尊・不動明王様のご開帳を行いました。昭和58年に梵鐘を再鋳造した際に執り行ったご開帳以来の出来事です。
当山を訪れる檀家さんや地域の方々には、自ら撞く梵鐘の音で、自身の心を清めていただきたいと思っています。
住職
interview
総ヒノキ造り、金物を使わない伝統工法で組み上げた鐘楼堂が、地域の方々に親しみをもって受け入れられることを切に願っています。
これから数十年または数百年もの間、地域の新たなランドマークとして存在する建造物を手がけられたことは、宮大工としての誇りです。また、時代を超えるという視点では、この仕事の大きな責任とやりがいを感じています。
施主の方々の評価は職人としての最高のよろこびであり、未知の仕事にチャレンジする大きな原動力になっています。
棟梁
editor's note
平成から令和へ。新たな時代の幕開けとなった令和元年は、台風などによる大雨被害が全国に及びました。成就院のある栃木市も例外ではなく、特に市街地を中心とした河川の氾濫による浸水被害は記憶に新しいところです。
同年3月から着手した旧鐘楼堂の建替工事は順調に進んでいたものの、完成間近となった10月、令和元年東日本台風(台風19号)の影響で工事は一旦ストップ。大晦日までに完成させ、新しい鐘楼堂で除夜の鐘を撞くという当初の計画に赤信号が灯ります。
住職から建替工事を一任されていた大兵工務店は、自社社屋が浸水被害を受ける中で工事を最優先。しかし、職人が揃わないなど人手不足が大きく影響し、最善を尽くしたものの年内引き渡しは難しくなってきました。
そのとき、棟梁はとっさの判断で鐘楼堂の台座に仮設の木製階段をしつらえ、仮囲いを組んだままでも梵鐘を撞ける状態にしました。
迎えた大晦日、新鐘楼堂の除夜の鐘はいつもとは違った音色で、台風被害からの復興と新年の到来を祝う、地域の人々の心に深く響いたそうです。
年が改まった令和2年早春、鐘楼堂はついに完成し、3月29日に落慶法要式が執り行われました。
profile
昭和54年、栃木市生まれ。寺社建築の設計・施工を手がける株式会社鵤工舎(いかるがこうしゃ)で、創業者であり宮大工の小川三夫氏に師事。社寺建築の知識・技術はもちろん、宮大工としての所作や職人としての礼儀作法を学ぶ。25歳のときに父が営む有限会社大兵工務店に入社。以来、社寺建築を始め文化財や蔵の修復・修繕、古民家再生に携わる。
一級建築士。(一社)日本伝統建築技術保存会 棟梁認定。
伝統技法に職人技と現代工法を組み入れた建物づくりの技。宮大工が社寺建築・蔵の修復・再生を行います。
当工務店は職人の集まりです。
営業マンはいません。
しつこい勧誘・営業はしません。