今まで培ってきた技術や経験の中から
様々な要素を組み合わせれば
解決策は必ず見つかる
「整理整頓」-大兵工務店の加工場の随所に掲示している標語です。
山のような材料のストックも、技術や知識や経験といった目には見えないものも同じように棟梁の頭の引き出しに、整然とおさめてあります。お施主さんの困り事にも、古い建物ならではの難問も、これは、という要素を選び、それらを組み合わせていくことで、古き良き建物を美しく蘇らせる。
また、お施主さんの依頼の範囲内だけにとどまらず、期待や想像を上回る提案をしてさしあげて、喜ばれる。そんな仕事を心がけています。
未来に残る建物づくり
栃木の街は江戸末期より明治、大正にかけて経済が発展しました。旦那衆は出入の職人を大切にして、今日まで残る建物をつくりました。
平成になり、栃木の街の活性化に私共も携わらせていただいています。伝統技法に職人技と現代工法を組み入れた技で、少しでもエネルギーをあらわせる建物づくりをしてきました。いつも「何かを残したい」という思いを込めながら、色々な建物づくりに取り組んでいます。
技術
数寄屋、宮大工いずれの技術にしても、木そのものの表情や力強さを活かすための技術
仕口・継手や隅木の接合部、社寺建築の美しい屋根の勾配など、複雑に組み合う接合部や曲線を巧みに作り上げていく伝統的な「宮大工」の技法に、職人技と現代工法を組み入れた建物づくりを信条としています。
しかし、数寄家、宮大工いずれの技術にしても、その大本となっているのは「木を活かす」心。木そのものの表情や力強さを最大限に活かすための、日本の伝統建築の技術を大切にしております。
経験
蔵造りの家々が建ち並ぶ地元・栃木、ここで生まれ育ったことがなによりの経験
生まれも育ちも生粋の栃木人です。
明治の良き時代、通りに面した見世蔵の旦那衆との繋がりは、仕事を依頼されるだけでなく、台風時には風雨の中でも被害がないか自然と見回りしたくらい強い信頼関係がありました。今の時代、どのような難しい仕事でも率先する気風を受け継いでおります。
知識
経験は随分積んできましたがそれだけでは足りない、一生勉強です
心のよりどころにする建物は1200年ほど前から現存します。大工の神様は聖徳太子と言われています。聖徳太子の像の手には直角の物差しを持っています。この物差しが使いこなせれば、どのような木造の建物でも造れます。しかし時代が進んで機械化になり、大工が考えて造る部分がほんの少しになってしまいました。
昔から先人が努力しながら技法を体得してきたことを学び取り、自分が少しでも本筋の作り方を体得して造ることが、若い後継者の刺激になり、少しでも伝統建築が残ることを心に刻み、日々勉強しています。
人脈
長い時間をかけて築いてきた職人さんとの繋がりは財産です
誰でも最初から仕事の出来る人はいないと思います。仕事を覚える時は「名人」と呼ばれる人に接することと思い、昼間大工をしながら、夜行バスで京都の名だたる大工のところに行き、見ず知らずでも熱意を持って教えを請いに行きました。東京でも何人かの親方に教えを請いました。
そのようなことを今でも機会があれば続けています。そうして各地・各方面へと少しずつ築いてきた人脈は、私の財産です。
うだちの会
うだちの会は平成6年(1994年)4月に、自らの研鑽と、建築を通して街づくりへの参加を目的として、職業・年齢・立場を越えて集まった「なかま」の非営利団体です。年に3~4回の勉強会や講習会を行っているほか、地元イベント・催しへの参加、建築セミナーの開催、会報発行や各種団体との交流など精力的に活動をしています。
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